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これまで地球上のほとんどは人類の踏査が進み、北極圏の氷上と全ての大陸に足跡を記して来ています。ただ、局地的に見ていけば、まだ人跡未踏の地はありました。

世界最後の空白部と言われる、チベットのヤル・ツアンポー川峡谷がそれです。そこにはまだ人類が足を踏み入れていない未踏査部があったのです。

この川は今では、全長2千9百キロ、ヒマラヤ山脈北側に源流を発していることが知られている。

その後、マナサロワール湖→チベット高原南部を東進→ヒマラヤ山脈東端を南下→インドのアッサム州を西へと横断し、ガンジス川に合流するのです。

1884年、測量責任者ヘンリー・ジョン・ハーマンは、ネム・シンとキントゥプの二人に、ヤル・ツアンポー川峡谷を探検させ、川の流れの確認を試みましたが、失敗しました。

1913年、イギリスのインド政庁役人フレデリック・M・ベイリーは、ヤル・ツアンポー川がインドのアッサムに流れ込みブラマプトラ川となることを証明しました。

1924年、イギリスの植物探検家フランク・キングドン=ウォードと、スコットランド貴族コーダー卿が、ヤル・ツアンポー川峡谷の無人地帯を突破しました。

この時の探検で、峡谷の残りの未踏査部分が5マイルであると分かり、「空白の5マイル」とされました。そして、上流部に虹の滝、下流部にプラマプトラの滝を発見しました。

この未踏査部に人類初めて足跡を記したのは、ノンフィクション作家で探検家の、角幡唯介さんなのです。

1976年2月5日、角幡さんは、北海道芦別市で生まれました。スーパーマーケットを経営する、地元の名士の家の生まれで、二代目社長の椅子が約束されていました。

角幡さんは、函館ラ・サール高等学校→早稲田大学政治経済学部と進み、自分にしかできない面白い人生を模索していました。

大学2年のある日、少年時代から憧れていた何かに出会います。それは探検部の勧誘ビラで、「世界の可能性を拓け」という言葉に惹かれ、入部しました。

コンゴの湖の怪獣ムベンベ探索、東チモール解放戦線の謎の将軍への接触など、怪しげな活動実績があるという探検部でした。

そして、大学4年になった春のこと、金子民雄さんの著した「東ヒマラヤ探検史」という本に出会いました。ここに世界最後の空白部のことが書かれていたのでした。

彼はすぐに「東ヒマラヤ探検計画企画書」を部に提出し、仲間を募集しました。「空白の5マイル」の情報を集め出しました。

そして、現地に行ったことのある氷河研究者や、秘境ものTVディレクターの話から、中印の政治的問題で「空白の5マイル」は、未踏査のままであることが分かりました。

1993年、チベット仏教研究者イアン・ベイカーが、ヤル・ツアンポー川峡谷の無人地帯の踏破に成功しました。

そして、アメリカ人登山家ブリーシヤーズが、虹の滝のすぐ先に新たに滝を発見しました。

この年は、早稲田大学のカヌークラブも峡谷のカヌー下りに挑戦しています。NHKの企画でしたが、残念ながら遭難者を出して、失敗に終わっています。

1998年8月、角幡さんは仲間と共にヤル・ツアンポー川峡谷の偵察を行い、「空白の5マイル」に達せずに帰国しました。

11月、ベイカーは「空白の5マイル」に入り、30m以上あるヒマラヤ最大の滝を発見しました。このことを翌年初めに知った角幡さんは、衝撃を受けました。

2003年1月、角幡さんは、ベーカーも行けなかった部分に到達し、ホクドルンの洞窟を発見しました。この時、未踏査部分は5マイルの1/4の2キロとなっていました。

2009年12月、ついに彼は、第二次探検に挑み、空白部残り2キロを単独で踏破したのでした。