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AD1958年4月12日、河野兵市(こうのひょういち)は、愛媛県西宇和郡瀬戸町(現伊方町)川之浜で生まれます。そこは佐田岬半島の真ん中近くにあり、半農半漁の田舎町でした。

河野の家はみかん農家で、子供の頃は急峻なみかん畑で手伝いをし、学校までは17キロも自転車で通い、足腰を鍛えるには持って来いの生活だったのです。長じて彼は「世界を股に掛けた冒険家」となって行くのでした。

AD1978年、冒険家として初めての挑戦に旅立ちます。自転車で日本を一周するというもので、1年3ヶ月で16,000キロを走破するという大冒険となりました。

AD1981年2月、今度は世界一周へと挑戦します。ニュージーランドを自転車で一周、アラスカとカナダを流れるユーコン川をいかだとゴムボートで踏破、これは偉大なる先人植村直己の影響を受けての冒険でした。

次に河野は、自転車でニューヨークへと行き、ここでバイトをしながら登山のためのトレーニングを重ねます。日本人の登山家からみっちりと登山のイロハを学んだ彼は、世界一周の最中、北米最高峰のマッキンリーへの挑戦を目指したのです。

AD1983年7月、マッキンリーを征服した河野は、徒歩による進撃を開始、ロサンゼルスからニューヨークまでの6千キロを180日かけて達成しました。更に翌年にはアメリカ三大マラソンに挑戦し、4月ボストン3時間45分、11月ニューヨーク5時間45分、12月ホノルル3時間25分の記録を残すのです。

AD1985年、自転車でシアトルから南米に向け出発しました。途中のシアトル近郊のレーニア山、カリフォルニアのシャスタ山、メキシコのポポカテペトル山とオリサバ山に単独登頂するという、驚くようなおまけ付きの行程でした。

AD1986年1月、今度は南米最高峰のアコンカグアを征服すると、3月にはパタゴニアのチリ側を徒歩で横断し、7月にはペルーのワスカランを制覇するのでした。その後は、自転車に身を託してベネズエラのカラカスから南米最南端のウスアイアまで1万キロを走破しました。

AD1987年7~9月のヒマラヤのナンガ・パルバット登山時のこと、顔面に落氷するというトラブルにみまわれた河野は、上唇に傷が残ってしまいます。その時から彼は鼻ひげを生やし始め、精悍な顔の冒険者になったのでした。

AD1988年6月は、北海道から鹿児島までの3千キロを踏破するトレーニングを行い、7月タジキスタンのコルジェネフスカヤとコミュニズムの2峰を制覇します。そして翌年3月、台湾の最高峰玉山も制覇、彼の進撃は留まるところを知りません。

AD1990年11月、河野の次のターゲットはアフリカ大陸でした。徒歩でリヤカーを引きながらサハラ砂漠を縦断する冒険に出た彼は、129日でこの5千キロの行程をたった一人で成し遂げたのです。

灼熱の砂漠を制覇した後は、極寒の世界を目指すのは当然の成り行きでしょうか、河野はAD1994年3月にカナダのレゾリュートで極地トレーニングを開始します。彼は日本人初となる北極点単独歩行到達に挑戦しようと考えたのです。

AD1997年3~5月、ついに河野は日本人初北極点単独歩行到達に成功します。しかし、AD2001年になってこの北極点から徒歩やシーカヤックで日本の地元佐田岬まで帰還するという冒険に出発し、彼の世界一周の人生は終焉を迎えることになるのです。

3月26日北極点を発ち、刻々と故郷へと近づいて来ながら、5月17日に交信が生きている彼を確認する最後となりました。最後の交信の七日後、プレッシャーリングという長い氷の裂け目の中に、ソリと一緒の彼の遺体が発見されたのでした。