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大冒険活劇映画「インディ・ジョーンズ」の主人公インディアナ・ジョーンズには、少なくとも10人モデルがいると考えられています。例えば、インカ帝国の都市マチュ・ピチュを発見したハイラム・ビンガム3世、小説「インディ・ジョーンズ/第七の魔力」に登場する考古学者パーシー・フォーセットなどです。

創作されたインディアナは、立ち入り困難な所から「財宝」(黄金・宝石・遺物・著名人の遺骨など)を見つけ出す、所謂トレジャーハンターという冒険家です。そんな彼のモデルの中には、「ドラゴンハンター」と呼ばれたどこかワクワクしてくる人物もいるのです。

その人ロイ・チャップマン・アンドリュースは、5度の中央アジア探検で、これぞ冒険というような苦難の数々に遭遇します。そして、現地の中国人が龍と信じる化石を発見し、「ドラゴンハンター」と呼ばれることになりました。

AD1884年1月26日、ロイはアメリカはウィスコンシン州ベロイドという町で生まれました。その頃の州内の森は、製材業によってほとんど姿を消しつつあり、製材業そのものの衰退を招いていました。

ロイは、わずかに残る森を始め、自然の中を探検することに熱中する少年でした。そして、射撃の腕前や剥製の技術を上げ、青年となってからはベロイト大学で「シグマ・カイ」という学生のための社交団体に所属しました。

AD1905年5月31日、彼は友人モンティ・ホワイトと共に、ボートで悪条件の川下りをするという小さな冒険に挑戦します。案の定ボートは転覆し、モンティは帰らぬ人となり、冒険は大失敗となるのでした。

剥製の技術は、彼を博物学者と探検家への道へと進めさせます。大学を卒業した彼は、剥製で儲けたお金でニューヨークへと行き、アメリカ自然史博物館の剥製部門研究員となり、研究の末コロンビア大学で哺乳類学の修士号を得て、晴れて博物学者となるのでした。

AD1908年、ロイはニューヨーク探検クラブに参加、AD1909~1910年には博物学者として西インド諸島の航海に同行し、ヘビ・トカゲ・海棲哺乳類の観察をします。また、AD1916~1917年には、妻を伴って雲南省などの中国各地で哺乳類を収集し、探検の様子を本にまとめました。

AD1922年、博物館が古生物学者ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン(AD1857~1935年)を隊長として、アジアへ調査隊を派遣します。彼らはゴビ砂漠のモンゴル領内で小型恐竜ヴェロキラプトルの頭蓋骨を発見しました。

この調査隊に参加したロイもまた、サイの仲間で角の無いインドリコテリウム(のちにパラケラテリウム)の化石や、恐竜の卵の化石を世界で初めて発見します。恐竜を龍(ドラゴン)と信じる現地の中国人は、この龍を掘り出す隊員たちをいつしか「ドラゴンハンター」と呼ぶようになるのでした。

AD1930年まで5度も行われた中央アジアの調査探検では、砂嵐や猛吹雪にみまわれたり、山賊や軍隊との争い、果ては疫病の発生と、冒険活劇さながらの展開が繰り広げられたのでした。その探検では恐竜を始めとした多くの古生物化石が発見され、ロイの紹介によりゴビ砂漠が恐竜化石発掘地として知れ渡ったのです。

AD1931年、ロイは博物館で部長に昇進、AD1934年にはついに館長に就任します。翌年出版した本の中でロイは、自分は探検家になるために生まれてきて、他に何もできないが幸せだと回想しています。

AD1942年には引退した彼は、カリフォルニア州の町カーメル・バイ・ザ・シーに移り住み、自伝の執筆に当たりました。そしてAD1960年、冒険に満ち満ちた彼の人生は、静かに幕を閉じたのです。