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マーサ・ジェーン・カナリーは、北アメリカの西部開拓時代を駆け抜けた、極めて有名な女ガンマンです。カラミティ(疫病神)・ジェーンとあだ名されたその理由には、彼女と周囲の主張に違いはあるものの、彼女の冒険的人生を表すには非常に似合ったものと言えます。

AD1856年5月1日、ジェーンはミズーリ州プリンストンのマーサ・カウンティという所に生まれました。ミズーリ州はその当時アメリカ東部の西の外れに位置し、その名は先住民スー族の部族名「ウィミスーリタ(丸木舟を持つ人々)」に由来します。

AD1865年、ジェーン一家(父ロバート・母シャーロット・ジェーン・2人の弟・3人の妹)は、モンタナ州バージニア・シティへ向けて出発しました。モンタナ州はアメリカ西部に位置し、当時まだ準州であり、その名はスペイン語の「山」又は「山の国」を意味しています。

ミズーリ州とモンタナ州の間を南北に並ぶ6つの準州(テキサス・オクラホマ・カンザス・ネブラスカ・サウスダコタ・ノースダコタ)があります。これらはフロンティア・ストリップと呼ばれるアメリカの東西を分ける地帯で、ここを通る西経100度線から西が西部開拓の舞台となっていたのでした。

道中は、それが道と呼べるものなのかというほどの悪路で、酷い凸凹や流砂そして沼地を越えて行かなければならないものでした。それでも、ジェーンはハンターとしての腕を磨き、銃と馬の扱いに冒険心をかきたてられていたのです。

しかし、ジェーン一家の幌馬車による道中が厳しいものだったのか、当時流行の重い肺炎を患った母シャーロットは途中帰らぬ人となってしまいます。春までにようやく目的地に到着した一家でしたが、南のユタ州ソルトレークシティへ向けて出発するのでした。

当時のユタ州はまだ準州で、その名は先住民ユテ族(山の民)に由来し、ソルトレークシティは準州都でした。その夏町に到着した父ロバートは、16ヘクタールほどの土地で農地開拓に取り組みました。

AD1867年、幼い子供達を抱え一人重労働に体を蝕まれたのか、父ロバートが亡くなり、ジェーンら6人の子どもたちは孤児となってしまいます。一家を守る重責を担ったジェーンは、再び新天地を求めて移動を開始します。

行先はワイオミング州のブリッガー砦、そこからは設立間もないユニオン・パシフィック鉄道を使って、東部のピードモントへと向かいました。そこでジェーンは年下の兄弟たちのために、ウエイトレスから踊り子、或いは牛飼いまで、なりふり構わぬ働きぶりを見せたのです。

やがて斥候という職にありついたジェーンは、大平原で培った冒険的行動力が能力を発揮し、男勝りの活躍を続けます。軍服に身を包んだ彼女は、周りの男たちと同様の見た目となったのでした。

彼女の言い分によれば、先住民の暴動の鎮圧にあたっていた時、6名の兵士が死傷する中、銃撃された隊長が落馬するところ助け、その後は鎮圧隊の指揮を任されました。そして、回復した前隊長が彼女に「カラミティ・ジェーン」と名付けたと言うのです。

しかし、一般的に知られたあだ名の由来は、法廷で男性を怒らせたことから、法廷の疫病神とされたと言うものです。また、自分の話を大げさに話すクセのある彼女の実話としては、重要書類を委ねられ冷たい川を145キロも泳いで届け、病気になったという勇ましいものがあります。

AD1881年、ジェーンはモンタナ州に牧場を買い、宿屋を始め、結婚、AD1887年には娘ジェーンも生まれます。そしてAD1893年、あだ名のカラミティ・ジェーンとして全米を巡業し、AD1903年8月1日に肺炎が原因で波乱の人生を終えました。