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危険を冒して未知の世界を探査する探検家は、ややもすると冒険心一辺倒のバンカラな人間ばかりかというと、意外とそうでもありません。非常に細やかな感情をもって、物事を的確に捉える才能を持った人もいるのです。

ジョージ・バック(AD1796年11月6日~AD1878年6月23日)は、カナダ北極圏の探検の傍ら多くの絵画を描き続け、画家としての才能も十分に発揮しています。彼の描いた探検に関する絵画は、実によくその時の感動を呼び起こしてくれるような気がします。

彼は、イングランド北部のストックポートという町に生まれました。フランスと同盟国がイギリスと対仏大同盟と戦った、ナポレオン戦争(AD1803~1815年)の最中に、彼は海軍に入りスペイン沿岸へと出兵します。

AD1809年、戦闘で敵軍に捕まったバックは、5年ほど捕虜生活を送ります。この捕らわれの期間が彼に絵描きとしての腕前を上げさせる絶好の機会となったのでした。

AD1814年4月16日、フランスが負けを認めナポレオンが追放され、バックはようやく捕虜生活から解放され、海軍士官候補生としてイギリス艦船で軍務に就きました。そして、AD1818年、ジョン・ロスの北西航路発見を目指した探検隊が組織されれると、その中のフランクリン率いる遠征隊に志願するのでした。

AD1819~1822年の20名中9名が主に餓死したというカナダ北極圏のコッパーマイン遠征の後では、探検の様子を絵にしています。その絵は隊長フランクリンがAD1823年に発表した本の中に、「コッパーマイン口」として使いました。

AD1824~1826年、バックは北極圏遠征でマッケンジー川流域を探索し、中尉そして中佐と昇進を続けています。そして、この探検の前年には「バッファローポンド」、AD1825~1826年には「フォートフランクリンの冬景色」という絵を描きました。

AD1833年2月、バックは4年ほど前から消息を絶っていたロスの捜索に出発します。8月に越冬使節へと到着したバックは、29日にその沿岸にロスがいると考えられる川(後にバック川と命名されます。)を確認し、冬を越す準備に入りました。

AD1834年3月、彼のもとにロス帰国の報が届き、捜索隊は北極圏探検隊となります。探検はロスとフランクリンの発見した島や岬などを巡り、83か所もの急流を超えるなどして9月27日まで続けられ、帰国したのは翌年の9月8日でした。

AD1836年6月、大佐に昇進したバックは、臼砲艦を改装したテラー号で60名の乗組員と共に、フローズン海峡の遠征に出発します。北極圏での航行は困難を極め、船は氷によって12メートルほども持ち上げられ、何度も離船の危機に遭いました。

翌年1月には壊血病で3名が亡くなり、春先になって氷山によって船は損傷、ついには南へ向けて漂流を始めたのです。7月まで氷の勢いは弱まらず、沈没寸前の状態でアイルランドへと上陸できたこの遠征の出来事は、「氷に投げ出されるイギリス艦船テラー」としてバックによって描かれています。

バックの絵の腕前の凄さは、AD2011年9月13日にも再認識されています。彼の本に記されたテラー号が遭遇した氷山とそっくりな絵が、彼の絵と推定され、オークションで6万ドル近い値を付けたのです。

この遠征後バックは現役は引退するものの、下級勲爵士の授与、少将への昇進、「フランクリン遠征」失踪時の海軍顧問、中将→大将への昇進を続けました。そして、多くの高評価の陰では、利己主義や短気などで批判され、女性関係で顰蹙を買った実に人間味溢れる生涯は、ロンドンで静かに幕を閉じるのでした。