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ドイツ人のハインツ・シュトゥッケさんはすごい人です。22才の1962年から生まれた国を離れて、世界中を自転車で旅し続けているのです。

どこかを探索する訳では無く、自転車旅行が目的の、自転車冒険家とされる彼こそ、真の冒険家と呼べるのではないでしょうか。

1940年、ナチスドイツ時代、軍が周辺のヨーロッパ諸国を占領・侵攻しているさなかに生まれました。

1960年頃20才くらいから、国内をサイクリングして回り、自転車の魅力に取りつかれることとなりました。何故自転車なのかというと、それはお金がなかったからでした。

1962年、当時東ドイツだった故郷から、自転車で世界中を巡る大冒険へと旅立ちました。

アフリカのザンビアでは兵士に足の指を銃撃され、多くの紛争・動乱に巻き込まれ、自動車事故4回という大変な冒険でした。

旅の途中で、故郷の両親が亡くなりましたが、帰国することはせず、自転車旅行を続けるのでした。

1995年~1999年、歴史上最も長い距離を自転車で旅行をした者として、ギネスブックに掲載されました。

2000年1月10日、ドイツの南端の街コンスタンツで、同じ自転車冒険家の中西大輔さんと初めて会い、自分の写真集を見せました。

2001年、故郷ドイツのテレビ出演のため、39年ぶりに帰国しました。

2002年1月18日、チリのイースター島の空港で、中西さんと再会し、島内を一緒にサイクリングしました。

そして5日間の滞在の間、食事を作り、一緒にビ−ルを飲んで、夜遅くまで語り合いました。その後、タヒチ経由でロスアンゼルスに向かいました。

ちなみにハインツさんは、中西さんの11年3ヶ月・130ヶ国の自転車旅行中に、7回も出合っています。

2006年5月、イギリスのポーツマスで、最初から乗っている自転車を盗まれましたが、36時間後に公園で発見されました。

自転車の盗難は6度目で、この年、走行距離は53万9千キロになりました。

2010年1月6日、来日し9日間滞在しました。世界のおよそ200ヶ国の冒険を終え、2012年までに世界の離島訪問で記録樹立を目指すというものでした。

この時は4回目の日本で、小笠原諸島の父島と母島の自然に魅了された、すばらしいものでした。

13日には、大阪に行き、永年の友人が経営するドイツレストラン「ハンブルグ」で、同じ自転車冒険家の中西さんたちと交流をしました。

14日には、西畑由香さんの「ユーラシア横断女一人自転車の旅」スライド会にも参加しています。

冒険旅行の費用をどうしているのかと言うと、過去の旅の記録をまとめた冊子を500円で路上で売るというのが最大の収入源だそうです。

他には、自転車をメーカーから提供してもらっていて、旅の過程の写真の使用料も収入源としているのだそうです。

冊子の売れ行きは日本が一番で、兵庫県神戸市三宮の商店街では、1日で12万円分も売れたことがありました。

2010年3月4日、スーツケースに収納出来る高性能の自転車「バイクフライデー」に乗っていました。この年、活動拠点はバリでした。

10月、ブラジル→ベネズエラ→北極圏のカナダのイヌビック→アメリカのウィスコンシン州と巡っているという情報がありました。その後、バリへ向かったそうです。

この年、走行距離59万2千キロ、訪問国数195ヶ国・73地域、パスポート使用数20冊となりました。

2011年、アフリカの南スーダンへ行きました。そこはばだ独立したばかりの幼い国でした。

2014年には、アフリカのナミビアに滞在していました。自転車は折りたたみ式のブロンプトン・バイシクルになり、冒険は継続中で、新しい記録に挑戦中です。