17
冒険家の植村直己は、数多くの冒険を成し遂げています。中でも、犬ぞりによる人類初の北極点単独到達はすばらしいものでした。

1978年3月5日、冒険の出発点であるカナダ領エルズミア島のコロンビア岬に、飛行機で降り立ちました。

そこは、1909年に北極点初到達した、アメリカ人探険家ロバート・ピアリの出発点と同じでした。

オーロラ号と名付けられた犬ぞりは、幅96センチ、長さ4.5mで、17頭のグリーンランドハスキー犬に曳かせるものでした。

装備は、テント4張り・シュラフ2枚・無線機3台・石油コンロなどです。後は、犬たちの食料として、アメリカ先住民の伝統的な保存食ペミカンを大量に積み込みました。

氷点下51℃という厳寒の中、まずは冒険ルートの探索から始めなければなりません。彼は手近にあった10mもある氷の塊に登り、北極点の方向を眺めました。

視界に見える光景に彼は愕然としました。大小さまざまな形状をした氷の塊が、押し合い圧し合い遥か視界の途切れる所まで続いていたのです。

この日はまだ極夜の最中で、日中でも太陽が出てこないという時期でした。極夜が明けるのは9日なので、辺りは薄明のまま物寂しい感のある状況でした。

5日はこうして、愕然とさせられた乱氷の光景と、極夜の薄明に気圧されながら、2枚のシュラフの中で横たわって終わりました。

6日は周辺を少し探索し、7日から先住民が使うトウという、3mもある鉄棒で乱氷を砕き、犬ぞりのルートを作っていきました。

9日明け方、10mと離れていないであろう思われる近くに、異様な鼻息と足音を聞き目が醒めました。白熊でした。

ライフルはあったのですが、弾は込めておらず、手入れもしてはいませんでした。外に犬たちがいるはずなのに、吼える気配がありませんでした。

長い恐怖の時間が過ぎていき、不意に白熊は襲ってくることなく去っていきました。この時、彼と犬たちの食料が食い荒らされ、ポリバケツはバラバラにされていました。

23日頃までに、この冒険の支援隊がいるカナダ最北のアラート基地には、今にも泣き出しそうな彼からの無線通信が入ったという話があります。

28日頃まで、乱氷との戦いを続け犬ぞりは北極点に向け進んでいましたが、その距離はほんの僅かでした。なんと、一日に2~5キロしか進めないのです。

この頃にやっと乱氷の中を抜け出ることができ、以降は一日20~40キロ進めるようになりました。しかし、続いて現れた難題は、クラックの出現でした。

北極地域は一面凍っていて、うっかりすると陸地があるように思われますが、実際には海上が氷に覆われているだけです。

しかし、いくら寒い所とは言っても、所々に氷の張っていない部分は存在しています。これがクラックなのです。

北極海の氷は常に動き続けており、いつ何時その氷の塊の端っこから落水してしまうかもしれません。彼は、流れてくる氷の塊で橋を作りながら、犬ぞりを進めました。

4月26日、北極点まで百キロの地点に到達しました。この日彼は、出発前に顔合わせしていた日大隊が、北極点に到達したことを無線通信で知ります。

彼にとってこの冒険は、他との競争ではなく、目的・方法も違うので、元々気にはしていませんでした。それでも、この時ばかりは、何故かくやしさがあったと言っています。

29日、前半は氷の塊を砕き、後半は氷の塊を集め、犬ぞりの進む道を作り続けた冒険は、北極点への到達で一時休止となります。56日間、約八百キロの道でした。

この冒険は続きは、もっとすごいものでした。5月12日北極点を発ち、グリーンランド南端のヌナタックまで、三千キロ近い冒険で、8月22日の到着でした。