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人類の冒険の舞台は、地球上だけに留まりません。人類は、太古の昔から空に見続けてきた月を目指したのです。

1930年8月5日、月面に人類の第一歩を下した、アメリカのニール・アームストロングが生まれました。

1949年1月26日に海軍に入り、1950年8月16日に海軍飛行士の認定を受けました。そして、1960年11月には軍用宇宙機の開発パイロットに選ばれました。

1966年3月、アメリカ二度目の有人宇宙飛行計画「ジェミニ計画」で、彼はジェミニ8号の船長となり、ロケットの故障でアメリカ初の緊急着陸を経験しました。

月面に人間を送るというアポロ計画は、NASAによるアメリカ三度目の有人宇宙飛行計画でした。

後に「アポロ1号」と命名されることになる司令船では、1967年1月27日、訓練中の火災事故で、3名の飛行士が亡くなりました。

アポロ8号は1968年12月、人類初めて月の周回飛行に成功しました。徐々に人類の月面への第一歩に近づいていったのです。

アポロ11号は、1969年7月16日9時32分(現地時間)、ケネディ宇宙センターをサターンV 型ロケットに搭載され、地上から旅立ちました。

9時44分、軌道に乗ったロケットは、地球を一回半周回し、12時16分、第三段目に再点火して、月の遷移軌道に乗り月へと向かいました。

船長ニール、司令船操縦士マイケル・コリンズ、月着陸船操縦士エドウィン・オルドリンの3宇宙飛行士による、それまでに類を見ない偉業への旅立ちでした。

10時2分、ロケットから司令船コロンビアと機械船が切り離され、12時56分、月着陸船イーグルとドッキングしました。この様子はテレビでカラー放送されました。

翌日まで地球と月の間の宇宙空間を飛び続けた11号は、主エンジンを3秒だけ逆噴射させ、中間軌道修正を行ないました。

19日になり、主エンジンを377.5秒もの長い間逆噴射させ、17時21分(協定世界時)、月の軌道に乗りました。

11号は月の裏側にあり、管制センターと交信はできず、地球では緊張の時間が過ぎていました。そして、17秒間のエンジン噴射により、11号は月の円軌道に乗りました。

20日、ニールとエドウィンがイーグルに移乗し最後の点検を行ないました。そして18時11分、イーグルはコロンビアから切り離されました。

コロンビアの中でマイケルは、月面に向け降下して行くイーグルが、地球からの長旅の途上で傷付いていないか、目視で確認しました。

19時8分、降下を続けたイーグルは、月面上空14.5キロまで達しました。ここまでは比較的順調にいっていました。

イーグルがしばらく降下して行くと、ニール達は予定の着陸地点から離れすぎてしまうことに気づきました。その時、イーグルの航法コンピューターが警報を発しました。

管制センターは、警報が問題ないこと告げ、月面への降下を続けるよう指示しました。しかしニールは目前に、車ほどもある岩がいっぱいのクレーターを見つけました。

そのまま行けば、確実にイーグルは転倒してしまうという状況でした。ニールはイーグルを半手動に切り替え、降下を続けました。

そして20時17分40秒、ついにイーグルは静の海に軟着陸しました。地球には月面着陸のメッセージが届けられ、管制センターの緊張は一気に解けました。

実際この着陸は、燃料が残り25秒分しかないという、危険なものだったのです。すぐに二人は、イーグルの三角窓から、観測機器などを設置する所を探しました。

ニールは大変な苦労をしながら船外に出て、9段の梯子を降りていきました。そして、翌21日2時56分、月面に人類最初の足跡が刻まれたのでした。