冒険小説で最も有名なものといったら、「ロビンソン・クルーソー」と誰もが答えるでしょう。ロビンソンの28年に渡る無人島生活の物語は、読む人を惹きつけて止みません。
しかし、それはあくまでも作り話の中のこと、そう思っている人が多いかもしれません。確かにロビンソンの物語には実在のモデルがあります。
モデルの名前はアレキサンダー・セルカークです。AD1676~1721年に生きていて、日本だと江戸時代、犬公方綱吉から暴れん坊将軍吉宗の頃です。
セルカークは、イギリス北部、まだ独立した王国であったスコットランドの村で生まれました。
喧嘩っ早い彼は、AD1695年、教会での態度が悪く、教会の長老会議に呼び出されます。しかし、彼は出頭せず、逃亡してしまうのです。
逃亡した彼は、海の荒くれ者とは馬が合うのか、船乗りの道を選択しました。そして、南洋へ海賊として乗り出していったのです。
AD1703年、セルカークは、戦争相手の船と積荷を奪う許可を得た船の、船長であり探検家のウィリアム・ダンピアの遠征に加わりました。
翌年10月、航海長のセルカークの乗る船は、船長同士のいさかいで、たった一艘で無人島へとたどり着きます。
島はチリの西方670キロほどの所にある、ファン・フェルナンデス諸島のマサティエラ島でした。後に、ロビンソン・クルーソー島と改名されるのです。
島への寄港の目的は、食料や水の補給にありました。そのため、すぐに出航する予定なのですが、セルカークには自分たちの船の耐久性に疑問がありました。
彼は仲間たちに、別の船を待って、島に残ることを訴えましたが、誰も聞き入れてはくれません。結局、船での揉め事を心配した船長は、彼を一人島に残していったのです。
希望して島に残ろうとしたセルカークは、すぐに後悔し、行く船を追いかけ、呼び戻そうとしますが、叶いません。
彼の無人島生活は、4年4ヶ月に渡ります。ロビンソンの28年には遠く及びませんが、たったひとりで生きていくことは、辛く厳しい大冒険となります。
ちなみに、彼を置いて行った船は、その後たくさんの船員を道連れに、海の藻屑となってしまいます。彼の不安が的中した形です。
彼の持ち物は、銃・火薬・大工道具・ナイフ・聖書だけで、後は着ていた服があるだけでした。ただ、聖書は教会で問題を起こした彼であっても、心の支えとなりました。
初めの頃は、海岸をねぐらとして、貝を食べて生きのびました。島の中からは聞き慣れない音が聞こえ、恐ろしい獣が吼えているのだと、怯える毎日でした。
やがて、アシカが海岸で繁殖を始めると、やむなく島の中へと移らざるを得なくなりました。しかし、このことが彼を少し快適な生活へと連れて行ってくれました。
島の中には、彼が来るよりも前に上陸していた者たちが、ヤギを連れ込んでいて、それが野生化し、格好の食糧源となったのです。
野生の野菜もたくさんありました。カブ・キャベツ・胡椒の実など、彼の食生活は一段と向上していきます。
外部から持ち込まれたもので、やっかいなものとしてネズミがいました。ネズミとくればネコとばかり、彼は野生化したネコを手なずけて、ネズミ退治をしたのです。
島を脱出するまでの間、敵国スペインの船が2度もやって来ました。これには、彼も捕まっては大変と、息をひそめていたのです。
AD1709年2月2日、スコットランドと連合王国となったばかりのイギリスの、海賊ウッズ・ロジャーズの船によって助けられました。
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