5
大航海時代のハイライトは、なんと言ってもマゼラン艦隊による世界一周です。マゼラン本人は冒険を完結できなかったものの、彼の力がこの偉業を達成させたのです。

マゼランはポルトガル人で、AD1480年に生まれ、AD1521年に亡くなりました。日本では戦国時代の真っ只中です。

コロンブスのアメリカ発見のAD1492年、宮廷に入り王妃の小姓となります。AD1505年、アルメイダ艦隊に加わり、航海者マゼランが誕生します。

AD1509年、マゼランは海戦で、5ヶ月入院をする大怪我をします。退院後、マラッカ(マレー半島にあった王国)への遠征に参加します。

この時、大航海時代のライバルのスペインが、アジアへの西回り航路を探索していることを知ります。

AD1513年、マゼランは北アフリカ遠征に参加後、2年後に帰国し宮廷をやめます。マゼランには、西回りでのマラッカ諸島への渡航計画がありました。

ポルトガル人バルボーザは、スペインが西回りのアジア航路を探していることを知り、旧友のマゼランを誘います。

スペイン王に推薦されたマゼランは、自分の西回りアジア航路計画を説明し、指揮官へと任命されました。マゼラン艦隊の誕生です。

AD1519年8月10日、スペインのセビリアから出航し、120キロ先のアンダルシアで準備を整え、9月20日に大冒険へと船出します。艦隊は5隻270人ほどです。

マゼランは、指揮官としてとても厳格でした。お目付け役のスペイン人カルタヘナが、計画通りにしないマゼランに反抗すると、彼を逮捕します。

12月13日、ブラジルのリオデジャネイロに到着した艦隊は、原住民の人食い族と出会い、歓待されます。

艦隊はリオデジャネイロを発ち、アルゼンチンとウルグアイの間を流れる、ラプラタ川を探索しましたが失敗に終わります。

そして、アルゼンチンとチリの広がるパタゴニアへと到着しました。パタゴニアでは、厳しい冬が待っていました。

マゼランは、ここで冬をやり過ごすこととし、食料の節約などを命じますが、船員たちの不満は日に日に高まりつつありました。

リオデジャネイロでの原住民の歓待を忘れられない船員の不満を感じ取り、ついにスペイン人幹部は反乱に踏み切ります。

囚人となっていたスペイン人の元船長カタルヘナは、収容されている船の船長や司祭など、多くのスペイン人を仲間にしました。

反乱は艦隊3隻にまで及びましたが、結局マゼランを排除することはできません。反乱は失敗に終わります。

ここでもマゼランは、厳しい処置を下します。最初に反乱した船の船長の斬首、首謀者カタルヘナと司祭の追放、加担者の捕縛し労役を与えるなどです。

このスペイン人への厳しい処置が、後々マゼランの命運を決めるのです。

AD1520年10月21日マゼラン海峡を発見、11月28日ついに太平洋に出ます。この間、また反乱があって、艦隊は3隻に減ります。

太平とは名ばかりで、食料補給できる島が見つからないまま、飢え死にしそうになりながら、太平洋を進みます。

AD1521年3月16日、フィリピン諸島を発見し、島の人々と交流を深めます。しかし、各島の王たちの力関係を見て、その情勢に口を出すようになると事態は急変します。

マゼランに反発した王と戦闘状態となり、この時島にいたマゼラン軍は49人、対する相手は千五百人でした。

この戦いで、船にいたスペイン人は、これまでの不満もあり、マゼランに加勢しなかったのです。ここで、マゼランは戦死することとなります。

それでもマゼランの志は部下に受け継がれ、AD1522年9月6日、18人になった艦隊は、3年ぶりに帰国しました。世界一周の冒険の達成です。